国名 | カンボジア王国 |
面積 | 18万1,040平方km(日本の約0.48倍) |
人口 | 1,445万3,680人 (2010年推計) |
首都 | プノンペン |
言語 | カンボジア語(公用語) |
宗教 | 仏教(小乗仏教) |
通貨 | 単位はリエルRiel |
為替レート | 1ドル=約3,893リエル 100リエル=約2.81円 |
日本との時差 | -2時間 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、カンボジア大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |

- 位置:東南アジア。シャム湾に面し、タイとベトナムの間にある。
- 国土の面積
- 全面積:181,040平方 km
- 陸地の面積:176,520平方km
- 国際紛争:ベトナムとの沖合いの島々と国境線の一部についての争い。 ベトナムとの領海線は確定していない。タイとの国境線の一部についての争い。タイとの領海線は確定していない。
- 気候:熱帯性気候。雨の多いモンスーンの吹く季節(5月から11月)と 乾期(12月から4月)。季節によって温度の変化はほとんどない。
- 地形:大部分は低く平らな平地。南西部と北部に山がある。
- 天然資源:材木、宝石、いくらかの鉄鉱石、マンガン、燐酸塩、水力
- 気候:熱帯性気候。雨の多いモンスーンの吹く季節(5月から11月)と 乾期(12月から4月)。季節によって温度の変化はほとんどない。
- 正式名称:カンボジア王国
(英語:Kingdom of Cambodia/クメール語: Reacheanachak Kampuchea)- 政体:立憲君主制の基での多政党の自由民主主義が1993年9月に確立された。
- 首都:プノンペン
- 独立: 1949年11月9日 (フランスから)
- 憲法:1993年9月公布された。
- 法律制度:現在策定中
- 選挙権:18歳以上の国民すべて
- 行政府:
- 政体:立憲君主制の基での多政党の自由民主主義が1993年9月に確立された。
- 元首:ノロドム・シハモニ国王(2004年10月即位)
- 政府の長:
- フン・セン(人民党副党首)
- 政府の長:
- 立法府:二院制(上院、下院(国民議会))
- 上院(1999年3月新設。全61議席・任期6年)
- 議長:チア・シム(人民党党首)
- 議席:人民党(45)、フンシンペック党(12)、サム・ランシー党(2)、国王任命(2名)
- 国民議会(全123議席・任期5年)
- 最新の選挙は、2008年7月に行われた。 議席(定数123)
政党 議席数 カンボジア人民党 90 サム・ランシー党 26 人権党 3 フンシンペック党 2 愛国党(旧ノロドム・ラナリット党) 2 合計 123 - 議長:チア・シム(人民党党首)
- 国旗:青の2つの等しい水平な帯の間に赤い水平な帯がある。中心の白い3つの塔のある寺院はアンコールワットを表現している。
- 概況:
- GDP(MER): 108億400万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):774.950ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 280億9,200万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):2,014.980ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:-2.463% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):5.325% (2009年:IMF)
- 失業率: 3.5% (2007年推計)
- 国家予算(2009年推計)
- インフレ率(消費者物価):5.325% (2009年:IMF)
- 歳入:11億8,500万ドル
- 歳出:18億4,000万ドル
- 輸出:43億200万ドル (2009年推計)
- 商品:衣類83.5%、はきもの3.7%、金2.7%、ゴム1.8%
- 相手国:アメリカ45.2%、香港19.3%、カナダ6.7%、ベトナム3.9%、英国3.6%、日本0.7%(2008年)
- 輸入:58億7,600万ドル(2009年推計)
- 商品:織物25.3%、石油製品8.1%、車輌6.2%、タバコ3.3%、医薬品1.9%
- 相手国:中国21.1%、タイ15.8%、香港3.3%、ベトナム10.7%、英国3.6%、日本2.6%(2008年)
- 対外債務:42億8,4000万ドル (2009年推計)
- 工業生産: 成長率は-6.5% (2009年推計)
- 工業: GDPの30%を占める。観光、衣類、建設、精米、漁業、木材、木材製品、ゴム、セメント、宝石鉱山、繊維
- 農業:GDPの29%と労働力の67.9%を占める。
米、ゴム、トウモロコシ、野菜、カシューナッツ、タピオカ、シルク- 経済援助:
- 通貨:リエル(KHR)
- 為替レート:1ドル=4,135.39リエル(2009年)
- 工業生産: 成長率は-6.5% (2009年推計)
- 1世紀から6世紀の間、クメール人のフーナン王国がカンボジアの大部分を支配していた。
7世紀になると、フーナン王国の属国だったカンブジャが、フーナンを倒し、9世紀から13世紀にかけて、アンコール・ワットに象徴されるアンコール文明を築いた。
14世紀に入ると、隣国タイのアユタヤ王朝の勢力が強まり、1434年、首都アンコールはアユタヤ王朝によって征服された。
1867年までに、フランスはベトナム南部を全て征服していた。
フランスは、1893年からカンボジアを支配した。
1945年、カンボジア国王ノロドム・シアヌークが独立を宣言した。 そして1953年11月9日、カンボジアは完全独立した。
ノロドム・シアヌークが15年間国政を支配した。
しかし1970年、ロン・ノル将軍率いる軍部により打倒された。ロン・ノル将軍を首班とするクメール共和国が成立した。
シアヌークは北京へ亡命し、そこで王国民族連合政府を作り、ロン・ノルに対抗した。
1969年,アメリカはカンボジアの共産勢力のベースキャンプにじゅうたん爆撃を行った。 この攻撃で数千人の市民が死に、カンボジアをベトナム戦争へと引きずり込んだ。
アメリカと南ベトナム軍は、ベトナム共産軍を根絶するため、1970年、カンボジアへ侵攻した。しかし成功しなかった。
しかし、カンボジアの左翼ゲリラ(クメール・ルージュ)をカンボジアの内陸部へ追いやった。
まもなく激しい戦闘が国土全土に拡がり、1975年、プノンペンはクメール・ルージュの手に落ちた。1976年、クメール・ルージュは、ポル・ポトを首相とする民主カンボジアを樹立した。
ポル・ポトに率いられたクメール・ルージュは、カンボジアの多数の国民を虐殺した。特に教育を受けた国民を。カンボジアを毛沢東主義による農民主導の農業共同組合を基礎とした国家を目指した。
1978年、ベトナムがカンボジアに侵攻した。ベトナムの支援を受けたヘン・サムリン率いるカンボジア民族救国戦線は、1979年1月、プノンペンを制圧しカンボジア人民共和国の成立を宣言した。クメール・ルージュはタイ国境のジャングルへ逃げ込んだ。
1982年7月、クメール・ルージュ、シアヌーク派、クメール人民民族解放戦線(ソン・サン議長)の3派は共闘し、3派連合政府を樹立し、ヘン・サムリン政権との内戦が続いた。
1990年9月、国連安保理は、紛争当事者4派による、最高国民評議会(SNC)の設置、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による停戦監視および選挙実施の和平プロセス案を発表した。カンボジアの4派もこれに同意し、会談が数度に渡り行われた。
1991年10月、4派を含む関係18ヶ国が、パリ和平協定(カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定)に調印し、内戦は一応終結した。
1992年3月、明石康氏を代表とするUNTAC部隊が、カンボジアへ入った。
クメール・ルージュは武装解除に応ぜず、1993年5月の総選挙もボイコットした。
総選挙では、ラナリット殿下率いる民族統一戦線が第一党となった。
1993年9月24日、新憲法が公布された。カンボジアは、立憲王制となり、国王を元首とするが、権力はない。政体は、3権分立、多党制民主主義、仏教が国教となった。シアヌークが国王に就任した。
1993年11月1日、ラナリット、フンセン両氏を首相とする内閣が成立した。
- 人口:1,445万3,680人 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 32.6% 2,336,439人 2,388,922人 15-64 歳 63.8% 4,743,677人 4,498,568人 65 歳以上 3.6% 329,038人 197,649人 - 人口増加率: 1.705% (2010年推計)
- 出生率:1,000人当たり 25.58人(2010年推計)
- 死亡率:1,000人当たり8.19人(2010年推計)
- 乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり56.94人(2010年推計)
- 平均寿命: (2010年推計)
全人口 男性 女性 62.28歳 59.95歳 64.72歳 - 民族構成:クメール人90%、ベトナム人5%、中国人1%、その他4%
- 宗教: 仏教95%、その他5%
- 言語:クメール語(公用語)、フランス語
- 識字率(15歳以上): (2004年推計)
全人口平均 男性 女性 73.6% 84.7% 64.1% - 労働力: 800万人
- 職業: (2009年推計)
- 人口構成(2010年推計)
農業 製造業 サービス業 67.9% 12.7% 19.5%
