ブルネイ
歴史
15、16世紀、ブルネイは、ボルネオ島の大部分だけでなくフィリピンの一部をも支配下においていた。スペインとポルトガルがヨーロッパから最初にやって来た。
17、18世紀に、この地域に来たのはイギリスだった。イギリスはブルネイの影響力を侵食し始めた。
19世紀半ばに、サラワクで反乱が起こった。スルタンは1939年、この地にやって来たイギリス人探検家ジェームス・ブルックにこの反乱の鎮圧を依頼した。そしてその報酬として、ブルックにクチンを与え、白人王の称号を与えた。ブルックは、クチンを拠点にして周囲に領土を拡大していった。 北部のサバは、フィリピンとブルネイの所有権が明確でなかった。それに目を付けたイギリスは国策会社、北ボルネオ会社によりサバを支配した。 ブルネイは、イギリスにより領土を侵食されていった。
1888年、国家が消滅するかもしれないという危機感で、領土保全のためブルネイは、イギリスの保護領となった。
1929年、ブルネイが完全に消耗しようとしていたとき、石油が発見された。
1959年、ブルネイは、外交、防衛を除き、自治を獲得した。 1961年、2年後のマレーシアの独立に向け、マレーシア初代首相に就任したアブドル・ラーマンは、シンガポール、ブルネイ、サバ、サラワクを含んだ連邦国家マレーシア構想を発表した。
ブルネイとマレーシア側との交渉が行われた。しかしブルネイの石油利権の取り扱いで一致せず、ブルネイはマレーシアへの不参加を決定した。
1962年、ブルネイは、共産主義勢力の反乱に巻き込まれた。
11月,スルタンは、憲法を停止し、非常事態宣言を発した。
ブルネイはその時以来、緊急法の下にあり討議されていた選挙はいまだ行われていない。
1967年、現国王であるハサナル・ボルキアが即位した。 1984年、ブルネイは完全に独立した。イギリスからの新しい独立は、ASEAN加入によって強調される事となった。
現在、ブルネイはその石油収入で、国家財政は非常に豊かである。国民は所得税、教育費、医療費は無料であり、豊かな生活レベルにある。石油の富は王族に集中しており、ボルキア国王は世界一の金持ちと言われている。