

- ■〜19世紀
- ミャンマーの有史以前の歴史は、三つの集団の移住から始まった。
最初は現在のカンボジアから来たモン族である。そしてヒマラヤ東部からモンゴル系ビルマ人、後ににタイ北部からタイ族が移住した。
11世紀、ビルマ王国が最初に現在のビルマを領土として支配下においた。しかし異なる種族の統一に失敗し崩壊した。1287年、元が侵略した。
続く250年間は、ビルマは混乱の中にあった。そして国土は16世紀中頃まで再統一されなかった。
16世紀中頃、トングー王国が彼らの勢力を広げシャムを打ち破った。
18世紀、ビルマはモン族と高地民族が各々の王国を建設したことにより、分裂した。
1767年、ビルマはシャムを侵略し、アユタヤを略奪した。シャムは彼らの首都バンコクへ退却した。
1824年、1852年、1883年とイギリスはビルマに侵攻し、ビルマは領土を失っていった。 1886年、ビルマはイギリス領インドの一部となった。イギリスは通常の植民地のインフラを整備し、ビルマを米の大輸出国として発展させた。 インド人と中国人がイギリスによって連れてこられ、人種混合は複雑になった。 - ■20世紀
- 1937年、ビルマはイギリス領インドから分かれ、独立運動が芽を吹いた。
1941年、第二次世界大戦で、日本軍が東南アジアに侵攻した。
1941年12月16日、バンコクで、ビルマ独立義勇軍が設立された。
日本軍は、ビルマの独立勢力に接触し、資金、武器援助を確約した。
アウン・サン将軍は、ビルマ独立義勇軍を率い日本軍とともにビルマに侵攻し、1942年7月には、ビルマ全土からイギリスを駆逐した。日本軍は、ビルマ独立義勇軍を解散させた。ビルマ全土を日本の軍政下においた。
1943年、日本は、戦争遂行の為、ビルマの協力を得ようと形ばかりの新政権を認めた。ビルマ政府の首相はバモオ、国防相にアウンアサン将軍、ビルマ国軍の指令官にはネ・ウィンが就任した。そして政治的にビルマ人の支持を得ようとした。
しかし、実権を握っていた日本の弾圧は続き、1944年、アウンサンはビルマの独立は形ばかりのものだと批判し、ビルマには日本に対する反対勢力が作られた。
ビルマ国軍、共産党、人民革命党などを中心として、ファシスト打倒連盟(後に反ファシスト人民自由連盟と改称)が作られ、アウン・サン将軍が指導した。
1945年3月27日、反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)は日本軍に対して、反乱を起こし、5月にはラングーンを占領した。
1947年、アウン・サン将軍は、テロによって殺害された。 - ■独立
- 1948年1月4日、ビルマは独立した。反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)が政権を担った。 しかし高地民族、共産主義グループ、イスラム教徒、モン族などが反乱を起こし、分裂し始めた。
1962年3月、ネ・ウィン将軍に率いられた左翼将校がクーデターを起こし、トラブルが続く民主主義政府を打ち倒し、ビルマに社会主義を導入した。
ビルマの経済はこの後25年以上も停滞を続けた。
1987年、1988年にビルマの国民による大規模なデモが、ネ・ウィンの退陣を呼びかけた。そして民主主義支持のデモ隊と軍の大規模な衝突で6週間に3000人が死亡した。
ネ・ウィンは表舞台から降り、幾人かの傀儡がネ・ウィンによって任命された。そして(ネ・ウィンにより煽動されたと信じられている)軍事クーデターが起こった。これによりソウ・マウンが権力を握った。ソウ・マウンは国家法秩序評議会(SLORC)を発足させ、ビルマを統治した。
ソウ・マウンは1989年に選挙を行うことを約束した。
1990年、あらゆる妨害工作を行ったにも関わらず軍事政権は、総選挙で国民民主同盟(NLD)に大敗した。NLDは総議席485の内396議席を獲得した。
軍事政権は、当選者が議席につくのを妨げ、アウン・サン・スーチーを含む党のリーダーたちを拘束した。
アウン・サン・スーチーは、1989年7月20日以来、6年間自宅軟禁された。
1995年3月、軍事政権は国民民主同盟の指導者たちを刑務所から釈放し、7月10日、アウン・サン・スーチーの自宅軟禁を解いた。
1995年前半には、国家法秩序評議会(SLORC)は、カレン族、シャン族、カチン族などの少数民族の反政府勢力の抵抗を鎮圧し、全土をほぼ制圧した。