イラク
経済
概況
バース党政府は、零細な工業やサービスそして大部分の農業を私営にする一方、工業生産や海外貿易について広範囲の中央計画と管理を行っている。経済は、ほとんどが石油関連産業中心である。石油はこれまでに外貨の約95%を得てきた。
1980年代、イランとの8年に及ぶ戦争での莫大な経費とイランによる石油輸出施設への損害によって引き起こされた財政問題は、政府に耐乏措置を行うことと巨額の借金とのちの外貨の負債の支払い延期に追いやった。
1988年、戦争の終結ののちに、石油の輸出は、新しいパイプラインの建設と損傷を受けた施設の修復により次第に増加した。
農業開発は、労働力不足、塩分化、以前の土地改良と集団化の計画によって引き起こされた混乱により停滞したままである。
工業は、政府によって高いプラオリティを与えられているが、また財政的な束縛の元にある。
1990年8月のクウェートへのイラクの侵攻、のちの国際的な経済制裁、そして1991年1月に始まった多国籍軍の軍事行動により、経済の構図は徹底的に変更された。
激しい損害を被った工業および輸送施設は、部分的に修復されてはいる。
石油の輸出は、いまだ以前のレベルの5%以下のままである。予備の部品不足は続いている。
1993年、1994年には、さらに生活水準は低下している。消費者物価は、1993年、1994年ともに2倍以上に上がった。
国連主導の経済制裁は、輸出、輸入を減少させ、物価は激しい上昇を続けている。
イラク政府は経済制裁を終わらせるために、国連の解決案に素直に従うことを望んではいない。強大な軍事力と国内の保安軍を維持し、体制を維持するために財源を使う政府の 政策は、窮乏を悪化させている。
1993〜94年の一人当たりの生産は、1989〜90年のはるかに下回ると思われる。しかし正確な見積もりは入手できない。 最初の石油は1996年12月にくみ上げられた、最初の食料と医薬品は1997年4月に供給された。 国連安保理決議第986号(石油ー物資プログラム)の遂行として、原油が、現在の価格で、湾岸戦争前の約三分の一の価格で輸出された。 スペアのパーツ不足は続いている。物資購入の為の石油として、イラクは乏しい食料と医薬品との交換のために20億ドル分の石油の輸出を許可された。 1995〜97年の一人当たりの生産および生活水準は1989〜90年の水準を下回っていると思われる。
国内総生産(GDP):428億ドル (1997年推計)
国内総生産実質成長率:0% (1997年推計)
一人当たり国内総生産:2,000ドル(1997年推計)
輸出:428億ドル (1990年推計)
商品:原油および精製:、肥料、硫黄
相手国:アメリカ、ブラジル、トルコ、日本、オランダ、スペイン (1990年)
輸入:66億ドル (1990年)
商品:工業製品、食品
相手国:ドイツ、アメリカ、トルコ、フランス、イギリス (1990年)
対外債務:500億ドル(1989年), 湾岸諸国からの約350億ドルの債務を含む。
工業生産: GNPの10% を占める(1989年)
発電量
生産:257億 kWh
一人当たり消費量: 1,247 kWh (1993年)
産業: 石油生産と精製、化学薬品、織物、建設資材、食品加工
農業: 湾岸戦争前はGNPの11%、労働力の30%を占めていた。
主要な産物:小麦、大麦、米、野菜、ナツメやし 、他の果物、綿、羊毛。家畜ー牛、羊。食料は自給していない。
通貨イラク・ディナール
1 Iraqi dinar (ID) = 1,000 fils
為替レート:1ドル=3.2 イラク・ディナール(1982年より固定レート)
ブラックマーケットのレート(1995年3月) 1ドル = 1,530 イラク・ディナール (1997年)、3,000 (1995年)
準公式レート 1ドル = 650イラク・ディナール
■交通・運輸
鉄道
全長2,457 km
主要道路
全長: 45,550 km
舗装:38,400 km
未舗装: 7,150 km (1989年)
■通信
電話: 632,000 回線
ラジオ局: AM 16、 FM 1、短波 0
テレビ局: 13