イラク
歴史
第一次世界大戦の時、オスマン帝国は、崩壊した。
1921年イラクはイギリスの委任統治領として作られた。そしてファイサル首長が国王となった。生活は改善され、1932年完全な独立を達成した。
1958年7月14日、ファイサル国王は軍部のバース党将校によるクーデターにより殺害され、イラクは共和国となった。まもなくクーデターの指導者二人の間の対立が激しくなった。首相アブドゥル・カリム・カーセムと副首相アブドゥル・サリム・アーレフである。結果は、アーレフが罷免され逮捕される事となった。
カーセムは、1963年に、バース党によるクーデターで殺害された。
アブドゥル・サリム・アーレフは大統領となった。そして穏健派のバース党員による内閣を作った。しかしアーレフはヘリコプター墜落により死に、彼の兄弟アブドル・ラーマン・アーレフ少佐が大統領になった。
アーレフの体制に不満が広がり、1968年7月17日、アフマド・ハッサン・アル・バクル将軍が無血クーデターにより権力を得、大統領となった。
1979年9月、バクル大統領の引退により、サダム・フセインが大統領に就任した。
イランとの関係は、イスラム革命の当初は良好だった。しかし1980年、イラク国内で政府高官に対するテロ計画が相次ぎ、急速にその関係は悪化した。
1980年9月22日、イラクはイランの主要軍事施設を爆撃した。本格的なイランーイラク戦争が始まった。8年間の戦争の後、1988年に停戦が実現した。
しかしこの戦争で、イラクは莫大な対外債務を負った。1990年には、860億ドルにも達した。
この債務を解消するため、イラクはクウェート侵攻を図った。 1990年7月、サダム・フセインは、クウェートがOPECの生産割り当てを越えた生産を行って、原油価格を引き下げていると非難した。またクウェートはイラクとの国境を越えた油田から石油を盗んでいるとも非難した。アラブ諸国はこの問題を平和裡に解決しようとしたが失敗した。
8月2日、イラクはクウェートに侵攻した。
国連はイラクに対し、撤兵を勧告したが、イラクはそれを無視し、8月8日、クウェートを併合した。
国連は安保理決議661によりイラクに対して経済制裁を実施した。 アメリカ主導による多国籍軍(アメリカ軍42万5000人、他の27ヶ国の軍26万5000人)が作られた。
多国籍軍の軍事的圧力とともに、政治交渉も様々な形で行われたが、イラクの拒否にあった。
1991年1月17日、多国籍軍の「砂漠の嵐」作戦が実施され、湾岸戦争が始まった。
2月24日、イラクは国連安保理の停戦決議を受け入れ、3月3日、停戦協定が締結された。
イラクに対しての経済制裁は現在も実施されている。