旅行記

(ヨルダンからエルサレムへ)

まだ工事中です。 情報は、1994年のものです。


9月26日
ヨルダンの首都アンマン。
ウエストバンク(ヨルダン川西岸)へ行くためのパーミッションの申請のため、内務省へ向かう。内務省の入口でバッグを預ける。入って左手の奥に申請所がある。平屋の割りと小さな建物だった。
カウンターには、パレスチナ人、ヨルダン人、外国人などの受付がある。外国人用の窓口に行くと「奥の小部屋に入れ」と言われた。
その部屋には係官が1人いた。「ウェストバンクへのパーミッションがほしい」と言うと、申請用紙をくれた。名前、パスポートNO.、生年月日、住所を書くと、宗教などを書き込む。係官が外で印紙を買って来いと言う。建物の外に出ると、横の駐車場の入口に小屋がある。そこで150filsの印紙を買う。先ほどの部屋へ戻ると、明日の午後1時に来いとの事。ダウンタウンへ戻る。
9月27日
午後1時、内務省に着く。外国人用窓口に行くと、紙を一枚くれた。名前が手書きで10人程書いてあるもののゼロックスだ。これがパーミッションだった。
9月28日
午前6時30分頃、ホテルをチェックインする。通りでタクシーを捕まえようと思ったが、1台も通らない。仕方なく歩く。バスターミナルまで約20分かかった。
バスターミナルの一番南端にバスが一台止まっている。男が声をかけてきたので、ウエストバンクへ行くと言うと、 「このバスだ。料金は1JD」との返事。料金をその男に払い、バスに乗り込む。バスはエアコン付きのセパレートシート。こんな豪華なバスだとは思わなかった。JETTバスとほとんど同じだ。
午前7時10分頃出発する。約1時間でキング・フセイン・ブリッジの手前の建物に到着した。
ここがヨルダン側のボーダーだ。パレスチナ人、ヨルダン人は台車に荷物を積み、係員に荷物と金を渡している。普通のバスに乗ってイスラエルへ行くらしい。
外国人旅行者はそこを通りすぎて右手の一番奥の小さな建物へ行く。カウンターでパーミッションを出すとそれにスタンプを押されて返された。30程待つとマイクロバスがやって来た。それに乗ってイスラエル側へ向かう。途中幅2〜3m程の川を越える。この川にかかっているのがキング・フセイン・ブリッジだ。この川がイスラエルとヨルダンの実質的な国境になっている。川の周り以外は岩と砂。川を越えると所々にイスラエルの兵士の姿が見える。
イスラエル側イミグレーションの建物へ着いた。バスの車内で入国カードが配られ、記入。2枚複写で2枚目が出国カード。荷物は台車に乗せられ、番号札をもらう。列に並んで中へ。金属探知機の枠を通り、パスポートコントロールは簡単に通過。バスで一緒だったシンガポールの若い男の子はビザが必要だと言われ、ヨルダンへ帰された様子だ。番号札をオフィサーに渡し、荷物を台の上に。中身のチェックは全く無かった。建物内の銀行で両替した。レートは100US$T/C=298NIS。
建物を出ると前に乗合タクシーが止まっている。建物の出口にタクシーの料金表が貼ってあった。エルサレムまで26NIS、エリコまで5.5NIS。私を含めて乗客は3人。あと3人集まらないと出発しないとのこと。30分ほど待つが誰も来ない。
建物の横手からレストハウス行きらしいバスがしょっちゅう出ている。
バスでエリコまで行くことにする。料金は4.5JD。バスに乗るのが大変だ。大きな荷物を持った乗客ばかりだ。バスが1台来ると皆が押しかける。順番に並ぶというルールはないようだ。 おばあさんが乗れなくて泣き叫んでいる。私は2台目でやっと乗れた。バスの中は、満員電車のようだ。途中2回検問を通る。
7〜8分でエリコのバスターミナルの金網の横へ到着した。バスターミナルは金網の反対側にある。こちら側はイスラエルで向こう側のエリコはパレスチナということか。金網のあいだにある入口からターミナルへ入る。金網にはパレスチナ国旗がかかっている。 迎えのパレスチナ人が3.40人金網の周りにつめかけている。
エルサレム行きのバスはその小さなバスターミナルから出ていた。エルサレムまで料金10NIS。乗り込んで4.5分でバスは発車した。エアコン付きの新しいバスだ。4〜5分で、エリコの町中に入った。小さな町だ。通りには、アラファト議長のポスターやサダム・フセインらしきポスターもある。砂漠の中を走る。時折、イスラエル兵士の姿を見る。1時間程でいくつもの丘のある家並みに入った。
しばらく走ると丘が白い城壁で囲まれている街へやってきた。この城壁で囲まれているところが、エルサレムの旧市街だった。
ダマスカスゲートまで歩く。ゲートの前でガイドブックを見ていると男が声をかけてきた。アル・アラブ・ホステルの客引きだった。カイロで聞いたお勧めホテルは名前は忘れたが、卓球台があるとのことだった。聞くと卓球台があるとのこと。客引きの後についていく。
ダマスゲートから中へはいる。旧市街は細い道と、坂と階段でできている。幅2mぐらいの商店街を人混みをぬって150m程行くと、入り口があった。看板は小さく、1人で来ると判りにくいだろう。ホテルは、そこの2、3階にある。2段ベッドのあるドミトリーがいくつかある。1泊14NIS(約462円)、ルーフは10NIS(約330円)だったが、ドミトリーにした。ここには自炊設備もあり、紅茶はただで飲み放題だった。
ロビーで新聞を読んでいると、日本人が入ってきた。なんと、アンカラ、イスタンブール、カイロと3回も出会ったO君だった。
9月29日
一日中、観光にいそしんだ。
午前中は、聖墳墓教会へ行く。細い路地がいくつもあるのでなかなか判りにくい。教会の中には、キリストの墓、ゴルゴダの丘の跡といわれるものなどがある。涙を流している欧米の観光客もいる。異教徒は、私1人らしい。
午後、嘆きの壁に行った。入口で兵士が、検問をしている。金属探知機の枠を通り、バッグの中身を調べられたあと、中へ入る。中は広場になっている。壁に頭をつけてユダヤ教徒が祈っている。壁の20m程手前にロープが張られ、観光客はそこから前に出れないようになっていた。
嘆きの壁の裏は、イスラム教の聖地である。嘆きの壁の右手に坂がありそこを通ると、壁の裏側に出る。そこでも兵士の検問があった。バッグのチェックをされた後、中へはいる。神殿の丘だ。ここにはエルアクサモスク、岩のドーム、博物館がある。入場料は、3つセットで20NISだった。
ホテルへの帰り道に パレスチナ人地区の住宅地を歩きながらひょいと上を見上げると、3階の屋上から銃をこちらに向け、警戒をしているイスラエル軍兵士と目が合いぎょっとする。
周りを見上げると、所々屋上に兵士がいる。エルサレムの緊張状態を感じた。
夜8時を過ぎると、人通りはほとんどなくなる。パレスチナ人地区の至るところで兵士が警備をしている。日暮れには、時々パレスチナ人と警戒中の兵士の間で小競り合いも起こっていた。
パレスチナ人地区は古びた建物が多く、通路も整備されてないが、ユダヤ人地区に入ると、建物も通路も突然新しくきれいになる。
9月30日
午前8時頃、チェックアウトし、二日分の宿泊代28シェッケルを支払った。
M氏と二人でダマスカスゲートの外へ出る。
左手にセルビスタクシー乗り場があった。タクシーでボーダーまで行くことにする。タクシー代は26NIS。乗客は全部で4人だった。タクシーは時速100kmぐらいで走る。約20分でエリコのバスターミナルへ着いてしまった。
イミグレーションへ行くのにはパーミッションがいるらしい。運転手が、建物の中に入っていった。しばらく待って発車。途中数回検問で止まる。イミグレーションへ到着。Post Officeで出国税を払う。なんと69NIS(約2300円)。レシートとパスポート、出国カードをパスポートコントロールに提出した。
ヨルダン行きのバスを待つ。欧米の団体旅行者が多い。
何台も大型バスが出て行った後に、やっと個人旅行者を乗せるマイクロバスが来た。
ヨルダンのイミグレまで、1.5JD。アレンビーブリッジ(ヨルダンではキングフセインブリッジと呼ぶ)を通り、小さな建物の前に止まった。ヨルダンの兵士が乗り込んで、乗客のパスポート、パーミッションのチェックをする。そしてヨルダンのイミグレへ到着した。