ヨルダン
歴史
シリア、レバノン、ヨルダン、アラビア半島は、オスマン・トルコの支配下にあった。
第一次世界大戦において、オスマン・トルコはドイツと同盟し、イギリス、フランスと戦った。 イギリスは、アラブ人にオスマン・トルコに対する反乱を工作した。
メッカのシェリフ、フサインは、イギリス人T.E.ロレンスと協力し反乱軍を組織した。T.E.ロレンスがアラビアのロレンスである。ロレンスとフサインの息子ファイサルに率いられたアラブ反乱軍はオスマン帝国や、駐留ドイツ軍を打ち破り、1918年、ダマスカスを占領した。そしてアラブ臨時政府を樹立した。
しかし第一次世界大戦中に、イギリスとフランスの間には、シリア地方分割の密約がかわされていた。戦争が終わると、フランス軍はダマスカスを攻撃し、アラブ臨時政府は瓦解し、フランスは現在のシリアとレバノン地域を委任統治領として、実質的な植民地とした。イギリスは、現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナを委任統治領として支配下においた。
イギリスは、委任統治のもとで、フサインの息子、アブドラーを国王として、トランス・ヨルダンを作り、ファイサルを国王としてイラク王国を作った。
ヨルダンは、1946年独立した。
しかし1948年5月、イスラエルが建国された。ヨルダンはエジプトなどとともにイスラエルに攻め込んだが、結局アラブ側の敗北に終わった。この戦争で、多くのパレスチナ人がヨルダン国内へ逃げ込んだ。
この時点でのヨルダンの領土は、現在のヨルダン川西岸、東エルサレムを含んでいた。
1953年、ファイサルが国王になった。
1960年代、ヨルダンにとって状況はかなりよかった。アメリカから経済援助があり、エルサレムの旧市街を中心とした観光ブームも訪れた。
しかし1967年、第三次中東戦争で状況は一変した。この時、ヨルダンはイスラエルにヨルダン川西岸、東エルサレムを占領された。これによりヨルダンは、観光と農業という二つの大きな収入の道を絶たれた。
またヨルダン川西岸、東エルサレムから多数のパレスチナ難民が流入してきた。ヨルダンはパレスチナゲリラの拠点となり、PLOはヨルダン国内で大きな勢力となった。PLOはイスラエルに対するゲリラ闘争、テロ、ハイジャックなどを行い、ヨルダンはその本拠地として、世界の非難を浴びるようになった。
そのためヨルダンは、1970年、国内からパレスチナ・ゲリラを国外へ追放した。これがブラック・セプテンバーといわれる事件である。
湾岸戦争で、ヨルダンはイラクを支持した。それは国内の多数のパレスチナ人がサダム・フセインを強く支持している圧力によってだった。湾岸戦争後、ヨルダンはイラクへの経済制裁に協力するなどの国際協調により、孤立化を免れた。
1995年、ヨルダンはイスラエルと国交を回復した。