クウェート
歴史

(工事中)

15〜17世紀
現在のクウェートを支配しているサバハ家は1756年頃、その地域の首長となった。
19世紀
19世紀初期には、クウェートは貿易港として繁栄していた。 ムバラク・アル・サバハ・アル・サバハ
1899年、ムバラクはイギリスの保護国となる条約に調印した。イギリスの軍事力によって保護される代わりに、イギリスの許可なく、他勢力と交渉もしないし援助も受けないというものだった。
20世紀
1920年代初期には、クウェートはサウジアラビアから軍事的脅威を与えられていた。
1934年、石油開発の認可がイギリスーアメリカの共同資本に与えられた。1936年、最初の油井が発見された。1938年には、クウェートの地下は石油だらけだということがはっきりした。第二次世界大戦により、開発は中断したが、戦後石油の輸出が始まった。クウェートの保健衛生、教育、生活水準は劇的に向上した。
1961年6月19日、クウェートは独立した。憲法制定会議は、憲法は数カ月後に選ばれる事を命じ、1962年憲法は発布された。
最初の国会選挙は、1962年後半に行われた。
1976年、内閣が、国会は政府の職務を不可能にしているとして辞職した。首長は憲法を停止し、国会を解散した。首長は皇太子に首相を命じ新しい内閣を作った。
国会選挙はこの後1981年まで行われなかった。
選挙法が改正され、急進派は議席を得ることができないようになった。しかし国会での多数を占める保守層からも異議申し立てがでた。
1986年、国会は再び解散した。
1989年12月、1990年1月、憲法の回復と、国会の再招集を求めて大規模なデモが起こった。しかしそれらのデモは警察によって解散させられた。1990年7月、諮問委員会の選挙が行われた。諮問委員会は4年の任期で、国会選挙についてではなく憲法の改正について政府に助言を与えるというものだった。しかし民主勢力は以前の国会の再開を求め、諮問委員会を違憲であると非難した。
1990年7月16日、イラクはアラブ連盟の事務総長に書簡を送った。この中で、クウェートはOPECの石油生産割り当てを越えており、イラクとの国境でイラク領の油田から石油を盗んでいると非難した。
1990年8月2日、イラクはクウェートに侵攻し、その日の内にクウェートを制圧した。王族はサウジアラビアに避難した。
湾岸戦争が始まった。 多国籍軍は、1991年2月26日、クウェート市を解放した。
1992年10月、新しい国会選挙が行われた。その結果は、政府にショックを与えた。総議席50の内、30議席以上を、野党の改革派が獲得した。