ラオス
歴史

〜19世紀
ラオスの地は長く、タイ人(シャン族、シャム族、ラオ族を含む)の移住者とモン族、ミエン族などの高地民族によって支配されていた。 最初のラオスの公国はフビライ・ハーンによる中国南西部の侵略の後、13世紀に確立された。
14世紀中頃、クメールに支援された将軍ファ・グンが、ルアン・プラバン周辺に散在する公国を併合して王国を樹立した。ランサン王国(Lan Xangは100万の象という意味)である。
ランサン王国は、最初繁栄していた。しかし内部分裂と隣国からの圧力で17世紀、ルアン・プラバン、現在のビエンチャン、チャンパサクをそれぞれ中心とする3つの王国に分裂した。
18世紀後半には、ラオスの大部分はタイの支配下にあった。しかしまたベトナムの圧力も強かった。
1820年代にラオスはシャムに対して戦争を行った。この戦争でラオスは敗れ、3つの王国全てがタイの支配下に入った。
19世紀後半までには、ベトナムのトンキン、アンナン地域に、フランス領インドシナが作られた。
タイは結局フランスにラオス全てを譲渡した。フランスは単に植民地とシャムの間の緩衝器としてその領土を使うことで満足した。
20世紀
第二次世界大戦中、日本軍がインドシナ半島を占領した。
戦後、ラオスのレジスタンスグループ、ラオ・イサラ(Lao Issara/自由ラオス)は臨時政府をビエンチャンに樹立したが、1946年フランス軍によって制圧され、ラオスはフランス領に戻った。
1949年、ラオス王国はフランスの勢力下で、独立国となった。
1950年、スファヌボンらによりネオ・ラオ・イサラ(自由ラオス戦線)が結成され、対フランス闘争を行った。
1953年10月22日、ラオス王国の完全独立は達成された。しかし王党派、中立主義者と共産党の闘争が始まった。
ネオ・ラオ・イサラは、パテト・ラオ(ラオス愛国戦線)と名前を変更した。
1957年、政府とパテト・ラオは連合政府を樹立した。
1958年、新しく親米派サナニコンによる政権ができた。サナニコン政権はパテト・ラオを弾圧し、政府とパテト・ラオとの内戦が始まった。
1960年、中立派のプーマによる政権が樹立されたが、左、右、中立3派に分裂した。
1962年、3派連合政府ができたが、翌63年、内戦が再開した。
ビエンチャン王党派とパテト・ラオとの戦闘は激しくなっていった。パテト・ラオは北ベトナムと協力していた。そのためベトナム戦争でアメリカは、1964年ラオス東部のホーチミンルートの攻撃を始めた。
1973年になると停戦協議が行われた。
1974年4月、連立政府が樹立された。しかし1975年、ベトナムでサイゴンが陥落すると、大部分の王党派はフランスへ亡命した。
パテト・ラオは,平和的に権力を掌握し、ラオス人民民主共和国が1975年11月建国された。
1975年以来、政府は企業を国営化し,私営企業は閉鎖されていたが、1989年、その規制を緩和し、小規模ではあるが、市場経済へ移行している。