
- 概況:
- 1975〜1991年の内戦により、レバノンの経済インフラは大きな損害を受けた。国内生産は約半分になり、レバノンの中東での貨物集積地と銀行業のハブとしての位置はほとんど終わった。一応の平和によって、中央政府はベイルートでの統治の回復、税の徴収、基幹港や政府施設のの回復を始めることができるようになった。
破綻した経済もまた、銀行業の再開や回復力に富んだ中小規模の製造業によって支えられた。主に国外の労働者による家族への送金、銀行業務、製造業や農業の輸出、国際的な援助により外貨を得た。
比較的安定した1991年には、工業生産、農業生産、輸出は大きな伸びを示した。戦争によって破壊された国土の再建は、政治的対立による混乱により遅れ1992年に始まった。
1992年10月、ラフィク・ハリリが首相に任命された。ハリリは裕福な企業家であり、外国の援助と多大な投資の導入によりレバノンそしてベイルートの再建計画を行おうとした。
レバノン経済は、1993年にハリリ首相が自己資金180億円を使った再建計画「Horizon 2000」を始めることにより、再建されてきた。 基礎的なサービスの回復はあまり進まなかったが、ハリリ首相の就任以来、もっとも重要な改善はレバノンポンドの安定におかれた。1993年終わりまでに、レバノンポンドは30%以上価値が高まった。1993年と1994年は、国内および国外からの投資に対する支援と国際支援の追加を得た。
1994年の実質GDPは8%、1995年には7% 成長した。
1992〜97年には、インフレ率は年間170%から9%に落ち、外貨準備は14億ドルから40億ドル以上に増えた。
資本の流入は増え始め、外国への支払には余剰を生じ、レバノンポンドは比較的安定した。レバノンの戦争によって破壊された物理的・金融的インフラの再建も進んだ。20億ドルの企業である「Solidere」はベイルート中心にビジネス街を再建しようとしている。株式市場は1996年1月に再開された。国際的な銀行や保険会社も戻ってきた。
それにも関わらず、政府は経済的な土俵で厳しい挑戦をしている。外貨準備を使い、借金をすることにより再建資金を用意しなければならなかった。
イスラエルとの平和交渉は中断し、南部レバノンでは戦闘が続いているため、資本の活気ある流入が妨げられている。その上、貧富の差は、ハリリ首相が就任して以来大きくなり、再建の恩恵が得られないことに大衆の不満が起こり、政府はインフラの再建より生活レベルの向上に焦点を移している。
- 国内総生産 (GDP):152 億ドル (1997年推計)
- 国内総生産 (GDP)実質成長率: 4% (1997年推計)
- 一人当たり国内総生産 (GDP):4,400ドル (1997年推計)
- インフレ率(消費者物価): 9% (1997年推計)
- 失業率: 9% (1997年推計)
- 国家財政:
- 歳入:24 億ドル
- 歳出: 59億ドル (1997年推計)
- 輸出:10億18万ドル (1996年推計)
- 商品: 紙および紙製品、食品、化学薬品、織物、貴金属および貴宝石、金属および金属製品
- 相手国:UAE23%、サウジアラビア14%、 クウェート8%、 シリア7%、 ヨルダン5%、 フランス5%、イタイリア4%、アメリカ3%
- 輸入: 70億5590万ドル(1996年推計)
- 商品:機械および輸送機器 , 食品、石油製品 、消費財、
- 相手国:イタリア 12%、 アメリカ 11%、ドイツ9%、 フランス8%、 シリア4%、イギリス4%、 日本3%
- 対外債務:2億3000万ドル (1997年推計)
- 工業生産: 成長率25% (1993年推計)
- 発電量: 50億 kWh
- 一人当たり消費量: 1380kWh (1995年推計)
- 産業:銀行、食品加工、織物、セメント、石油精製、化学薬品、宝石、
- 農業:主要産物- 柑橘果物、野菜、じゃがいも、オリーブ、タバコ、大麻 、 羊、ヤギ。穀物は自給していない。
- 経済援助:政府は援助の受け取りを17億ドル、30億ドルの国家緊急回復プログラムを支援するための委任された7億2500万ドルの追加があると見積もっている。
- 通貨:レバノン・ポンド
- 1 Lebanese pound (#L) = 100 piasters
- 為替レート:1ドル=レバノン・ポンド : 1,526.1(1998年)、1,539.5 (1997年)、1,571.4 (1996年)、1,621.4 (1995年)、 1,680.1 (1994年)、1,741.4 (1993年)、 1,712.8 (1992年)、 928.23 (1991年)、 695.09 (1990年)
- 鉄道:
- 全長: 222 km
- 注:システムは修理されていない。できないと思われる。
- 主要道路:
- 全長: 7,300 km
- 舗装: 6,200 km
- 未舗装:砂利450 km、 ならした土 650 km
- 電話: 15万回線
- ラジオ局: AM 5、 FM 3、 短波 0
- 注:数多くのAMとFM局がさまざまな党派によって散発的に運営されている。
- ラジオ台数: 237万台(1992年推計)
- テレビ局: 13
- テレビ台数: 110万台(1993年推計)
注:レバノンは1975年に始まった16年に及ぶ破壊的な内戦の終結以来、政治体制の再建と主権回復の道を歩んでいる。
国民的和解のための青写真となるタイフ合意のもとで、レバノンは、特にイスラム教徒に対して政治上のより大きな発言権を与えることによって、もっと公正な政治システムを確立しようとした。
1990年12月以来、レバノンは3つの内閣を経験し、1992年には20年間で初めての国会議員選挙を行った。
大部分の義勇軍は弱体化するか解散した。レバノン軍 (LAF)は、戦争の間、義勇軍によって使われていた多数の武器を押収し、中央政府の権力は国土の約2分の1に及んだ。
しかし過激シーア派組織ヒズボラは、武器の大部分を保持している。外国の軍隊はレバノンの一部地域をいまだ占領している。
イスラエルは、レバノン南部に軍隊を駐留させ、その隣接する国境線沿いの細長い地域で代理の義勇軍、南レバノン軍 (ASL)を援助し続けている。南レバノン軍 (ASL)の孤立領土は、この自ら宣言したセキュリティゾーンを取り囲み、約20km北には戦略都市Jazzineがある。
1993年12月現在、シリアは約3万から3万5000人の軍隊をレバノンに駐留させている。この軍隊は主にベイルート、北レバノン、ベッカ渓谷に基地をおいている。シリアの配備はレバノン内戦の初期にはアラブ連盟によって、およびタイフ合意によって合法と認められた。いまだ強化されていないレバノン軍、レバノン政府の要望、タイフ合意の国内改革を行うことにレバノン政府が失敗した事を理由に、今ではシリア政府は、ベイルートからの軍隊の撤兵を拒否している。現在の最大の懸案は、ベイルートの復興である。