マカオ
歴史

ポルトガルがマカオにやって来たのは16世紀初頭だった。
そして1557年、海賊を退治した報償として、中国明朝はポルトガルに小さな孤立領土を貸与した。
マカオは急速に貿易の中心地として発展した。その大きな理由は、中国人は外国との貿易を望んでいたが、外国へ行くことは禁じられており、その処罰は死刑だったからだ。
何世紀もの間マカオは中国との貿易の主要な取引場所だった。特に香辛料、金、絹、阿片の。
17世紀初頭にはマカオには約1000人のポルトガル人を含め、数千人が住んでいた。
マカオのポルトガル人は中国および日本との独占貿易で裕福となった。そしてマカオはキリスト教布教の前哨基地ともなった。
1580年のスペイン軍のポルトガル侵攻、1641年にはオランダが、ポルトガルの重要な貿易ルートの一部であったマレー半島マラッカ王国を支配下においた。
その地域におけるポルトガルの貿易支配は、徐々に侵害されていった。1841年、イギリスが香港を占領した。マカオはまもなくそのもっと強大な隣人、香港にその地位を明け渡した。マカオの港は浅く、大型船は入港できなかったからだ。
それ以降、マカオは次第にさびれていった。
しかし、19世紀中頃、ギャンブルを公認することによって、マカオの財政的な将来は保証された。
そして1887年、中国はマカオの主権をポルトガルに認めた。
マカオの人口は第二次大戦の日本の中国侵略、共産党の支配権の確立による難民の流入により人口が増大した。
1974年、ポルトガルに社会主義政権ができると、新政権は海外植民地の独立を進めた。これにより、マカオ、東ティモールなどの解放が進められた。
1986年から続いた中国とポルトガルのマカオの返還交渉は、1987年7月共同声明に調印された。
マカオは、1999年12月20日、中国に返還されることが合意された。
マカオは返還後50年間、特別行政区となる。
中国政府の政治方針が変更されなければ、香港と同じように、防衛と外交を除き全ての面での自治が続く予定である。