マレーシア
歴史
3〜15世紀
3世紀、マレー半島は、カンボジアに興った国フーナンに支配された。
8世紀頃からスマトラのシュリービジャヤ王国に支配された。
ジャワのマジャパヒト王国の支配下にあった。
1400年頃、スマトラから亡命した王族パラメスワラがマラッカの近くに港市を築いた。当時の貿易ルートに位置していたマラッカはやがて商業の中心地となった。
当初、タイのシャム(アユタヤ王朝)の朝貢国であったマラッカ王国は、1403年、明の使者を受け、1405年、満刺加国王の称号を得た。これによりシャムなど近隣の国と対等の地位になった。
イスラム教は13世紀中頃から広まった。マラッカ王国の王は始祖のパラメスワラ以来、オスラム名と非イスラム名を持っていた。しかし5代国王ムザファール・シャーよりスルタンとして、イスラム名のみを用いるようになった。この後、マラッカ王国はイスラム国家として、近隣諸国にイスラムの影響を与えていった。
16〜19世紀

マラッカの富はまもなくヨーロッパを引きつけた。1511年、ポルトガルがマラッカを支配し、1641年にはオランダが支配した。マラッカの王族はジョホールや近隣の島々などで後継王国を築いた。
マレーシア北部の現在のクダ−州のスルタンは、シャムの管轄下にあった。この支配を逃れるためスルタンはイギリスにペナン島を割譲した。 イギリスは1786年、ペナンに港を建設し、繁栄した。1795年、マラッカを支配下においた。
イギリスはスズが発見されると、半島内陸部を植民地化した。東マレーシアは、1841年サラワクの王となったチャールズ・ブルック、1882年からサバを統治していた北ボルネオ会社を通じてイギリスの手中にあった。
20世紀
イギリスは、第二次世界大戦後、サバとサラワクを公式に支配下においた。
マラヤではゴムとスズ産業を発展させるために必要な労働力が不足していた。 このためイギリスは多数のインド人をマラヤに移住させた。これにより、マレー半島の人種混合が変化した。
第二次世界大戦では日本軍がマレー半島を占領した。日本軍は圧政を敷いた。特に中国系住民は反日分子という名目で数万人が虐殺された。
戦後、マラヤはイギリスの支配下に戻った。
1948年、イギリスは、マレー半島の9首長国と、マラッカ、ペナンの直轄植民地を、マラヤ連邦として保護国とした。
共産ゲリラは、占領下では日本軍と戦い続けたが、1948年にはイギリス支配に抵抗しイギリスと戦闘を始めた。
マラヤ連邦はイギリス連邦の一国として1957年8月31日、独立を達成した。 スルタンの地位は保証され、スルタン9人によって国王が五年ごとに互選された。
独立
1963年9月、シンガポール、イギリス領サバ、サラワクを加えマレーシアが建国された。しかし、マレー人と中国系との利害対立により、その2年後の1965年8月、シンガポールはマレーシアから脱退、独立した。
マレーシアではマレー人優遇政策がとられ、公務員、教育、言語についてもマレー人の優位政策がとられた
マレーシアの形成には、フィリピン、インドネシア両国からの反対があった。ともに東マレーシアの領有を主張していた。1963年、緊張が高まった。
インドネシア軍はマレーシアとの国境を越えたが、マレーシアとイギリス軍に撃退された。
1969年、マレー人と中国系住民の間で暴動が起こった。
1974年以来、統一マレー国民組織(UMNO)が権力を握っている。マハティール・ムハマッドは首相の地位を維持している。