シリア
歴史

16〜18世紀
シリアは1516年からオスマントルコの支配下にあった。
19世紀
19世紀に入るとオスマントルコ支配下のヨーロッパの各国が独立闘争を始め、次第にトルコの領土は減っていった。
20世紀
第一次世界大戦でトルコはドイツ側につき敗北した。
第一次世界大戦後、シリアはレバノンとともにフランスの委任統治領となった。
1920年、一方的にフランスに譲られた事に対して、シリアでは大きな噴飯が起こった。フランス人にとっては、シリアーレバノン委任統治領はさほど幸運なことではなかった。第二次世界大戦の間、フランスはシリア、レバノンの独立に同意した。
1946年4月17日、シリアは独立した。
いくつかの軍事クーデターなどの政治的不安定な時期の後、1954年、陸軍内のバース党が権力を得た。
1958年エジプトとアラブ連合共和国を結成したが、1961年、シリアは脱退し、元のシリアアラブ共和国に戻った。
1960年、61年、63年と軍事クーデターが相次ぎ、権力者が交替した。
1966年、バース党が権力を取り戻した。
しかし、1967年イスラエルとの六日間戦争によりゴラン高原を占領され、1970年、ヨルダンのブラックセプテンバーによる損失で弱体化した。この時、国防相であったハフェズ・アル・アサドがクーデターにより権力を握った。
1976年、シリアはレバノンに軍事介入した。これは、レバノンのマロン派キリスト教徒勢力と敵対しているイスラム教徒左派とPLOを攻撃するためだった。
ムスリム同胞団は、このレバノンへの軍事介入に反対し、アサド政権へ敵対した。
1982年、ハマにおいてムスリム同胞団の大規模な暴動が起こった。暴動より内戦と言ってよいかもしれない。このときの死者は、一万人とも言われている。
1987年より、レバノン政府の要請によりシリア軍がレバノンに派遣され、駐留している。
1970年よりアサドは権力を保持し続けている。
1992年、アサドは99.9%の信任を得て4期目の大統領に再選された。アサドはバース党主導の連立政権を通じて国内を統治している。
シリアはソ連の軍事援助により体制を保っていたが、ソ連の崩壊により、西側諸国、特にアメリカへの接近を図った。湾岸戦争はその最高の機会だった。多国籍軍への協力の見返りとして、シリアはアメリカのテロリスト支援国のブラックリストから外された。
シリアは、中東アラブ諸国の中で、イスラエルに対抗する軍事力を持った国である。シリアとイスラエルの和平交渉がイスラエルとアラブ諸国の関係で最大の比重を占めている。
パレスチナ自治開始、ヨルダンーイスラエルとの国交回復に続き、シリアはイスラエルとの和平交渉を現在アメリカで行っている。