タイ
歴史

タイの初期の文明はタイ中央部のモン族の文明だと言われている。モン族はインド亜大陸から仏教をもたらした。
12世紀には、彼らは東から来たクメール文化、北部へ移動したスマトラのスリーヴィジャヤ文化、南部へ移住してきたタイのNan Chao国(現在の中国南部の市民)と出合った。 1238年、タイ族の二人の首長が、クメール王朝に支配されていたスコータイを制圧し、首都としてタイ族最初の王朝をスコータイ朝を興した。この王朝は1378年、アユタヤーの属国となった。
一方1296年建設されたチェン・マイを首都として、ランナー・タイ国が栄えたが、1556年、ビルマの侵略により滅亡した。
アユタヤーでは、1350年、アユタヤー王国が興り、1378年、スコータイを属国とし、400年以上も栄えた。
16世紀、18世紀にはビルマ人が、シャムを侵略し、チェン・マイを占領し、アユタヤーを破壊した。 アユタヤーは、1767年、ビルマ軍により陥落し、市内は徹底的に破壊された。
1767年、タークシンはビルマ人を追い出し、首都を現在のバンコクのトンブリー地区に移し、王朝を興した。
1782年、現在のチャクリー王朝がチャクリー将軍(ラマ1世)により創設され、首都をチャオプラヤー川の対岸バンコクに移した。
19世紀、シャムは、ヨーロッパの強国を互いに競わせる事によって、なんとか独立を保っていた。
1932年、無血クーデターにより、タイは絶対王政から立憲君主制へ移行した。そして1939年シャムはタイと国名を変更した。
第二次世界大戦中、タイ政府は日本軍のタイ占領を許した。
戦後、タイは軍部により支配され、20回以上のクーデターを経験した。民主主義体制は幾度ものクーデターで、短期間に終わった。
1979年の民主選挙後は、軍部から経済エリートへの権力の移行により長期間の安定と繁栄を見た。
しかし1991年2月、軍事クーデターによりチャチャイ政権が倒された。そして1992年5月4日、スチンダ将軍を首相とする軍部内閣が成立した。これに反対する市民は、抗議集会、デモを連日開催し、そのデモ隊に軍・警察が発砲し、死者50人といわれる流血事件が発生した。プミポン国王が裁定に乗り出し、5月24日、スチンダ将軍は退陣した。
1992年9月13日、5党による連立政権チュアン・レークパイ政権が成立した。チュアン政権は、その優柔不断さと、土地改革スキャンダルで崩壊し、チュアン首相は1995年、5月19日、下院を解散した。
1995年、総選挙が行われ、野党が過半数を制した。
1995年7月18日、7党による連立政権バンハーン・シルパ・アーチャ内閣が成立した。