トルコ
歴史

13〜16世紀
1200年代後半のモンゴルの侵入によりセルジューク・トルコは弱体化した。そして幾つかの小さな国家に分裂した。その中の一つがオスマン(1258〜1326年)に率いられた西アナトリアのオスマン・トルコである。オスマン・トルコは次第に勢力を伸ばした。
1453年、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)は、オスマン・トルコのムハマット2世の手に落ち、ビザンティン帝国は滅亡した。
1世紀後、1520年即位したスレイマン大帝の下で、オスマン・トルコは文化的絶頂期を迎え、その支配はバルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで拡大した。この繁栄は約200年続いた。
18世紀
1768年から1774年のロシアとの戦争を契機にオスマン・トルコは衰退し始めた。
1789年から1792年、第二次トルコ・ロシア戦争により領土は縮小した。
19世紀
1829年、ギリシャが独立し、1878年、ルーマニア、ブルガリアが独立した。
1805年、ムハマッド・アリはエジプトの支配を取り戻し、独立戦争を始め、1839年オスマン・トルコの支配から逃れた。
チュニジアは1881年、フランスの保護国となった。
20世紀
アルバニアとマケドニアは1912〜13年のバルカン戦争後、支配下から脱した。
第一次世界大戦の敗北により、オスマン・トルコはトルコ外の領土ーシリア、パレスチナ、イラク、アラビア半島を失った。トルコの大部分を占めるアナトリアはギリシャ、イタリア、フランス、ロシアに分配され、トルコには実質的に何も残らなかった。イスタンブールのオスマン・トルコ政府は連合軍の傀儡だった。
1920年、現代トルコの父と言われるケマル・アタチュルクは、軍の残存兵を集め民族権利防護団を結成した。1921年、侵攻してきたギリシャ軍を撃破した。彼は1922年、弱体化したオスマン・トルコの支配者たちを追放し、オスマン・トルコは崩壊した。 1923年ギリシャ軍が優勢だった地中海沿いの都市イズミールで勝利し、ギリシャ軍を追い払った。 1923年7月24日、ローザンヌ条約が連合軍とかわされ、トルコは国家として承認された。トルコの領土はオスマン・トルコに比べはるかに小さくなったが、国境線は保証された。
独立
1923年10月29日、トルコ共和国が樹立され、ケマル・アタチュルクは大統領に就任した。そして首都をアンカラへ移した。
アタチュルクは急速な近代化改革に着手した。一夫一婦制の導入、アラビア文字をラテン文字に改め、衣服を洋服に変えるなど、西洋的な制度を導入した。
1952年12月、NATOに加盟した。
1960年、軍事クーデターが起こり、メンデレス民主党政権が倒された。
1980年、オブレンが無血クーデターにより権力を握り、全土に戒厳令を出した。
1983年、総選挙で祖国党オザルが首相に就任し民政へ復帰した。
1989年、オザルは大統領に就任した。
1991年、総選挙で祖国党は大敗し、正道党のデミレルを首相とする連立政権が成立した。
1993年4月、オザル大統領が死亡し、後任としてデミレルが大統領に就任した。これに伴い、チルレル前経済担当相が首相に就任した。