

- ■15〜17世紀
- 1636年、ザイド派のイマムがオスマン帝国による占領から、全イエメンを解放した。
ザイド派の領土は、東部のハダラマウトから北部のアシールまでいたり、統治は200年以上に及んだ。南部ではラヘイのスルタンによりザイドの統治は1728年に終わった。しかし高地ではラシドの統治はオスマン帝国が戻る1849年まで続いた。 - ■15〜17世紀
- 1839年、イギリスはアデンを占領した。そしてアデン保護領とされるものを作った。その町はインドへの海上ルートに沿った港を持った重要な地であった。そして掘り抜き井戸があった。飲み水を供給した。
南部イエメンの総植民地化が進んだ。イギリスと地域の首長との間で一連の保護条約が交された。
1950年代には、イギリスの勢力はハダラマウトまで達した。アラビアのトルコ領とイギリスの保護領、南アラビア保護国の間には、ヴァイオレットラインが引かれた。その線は後に1960年代の北イエメンと南イエメンの境界線となった。
1849年、オスマン帝国はイエメンに再度戻った。最初ティハマを占領し、1869年のスエズ運河の開通後は、高地に勢力を伸ばした。1882年までにはザイディの首都サーダを占領した。
第二次のオスマン帝国の占領は全イエメンに及んだが、地方の首長はトルコに対して反乱を起こした。 - ■20世紀
- 1904年、ザイド派の指導者は、ヤフヤ・イブン・マハマッドとなり、トルコに対する効果的な反乱を組織した。
1909年、別の反乱が、サイード・ムハマッド・アル・イドゥリシの指揮の元、北部ティハマの部族によって起こった。
1911年、イマーム・ヤフヤとザイード派にある種の自治権を与えるという平和条約が交渉されたが、トルコ軍とイドゥリシ軍の戦争はティハマで続いていた。
第一次世界大戦で弱体化したトルコ軍は、1919年イエメンから撤退した。イマーム・ヤフヤはイエメン国王となった。1923年のローザンヌ条約で、トルコは公式にアラビア半島の全領土を放棄した。
イマーム・ヤフヤはティハマでの統治を確立させた。イドゥリシ軍は1920年頃のアジール地域へと退却した。しかしイドゥリシ軍はサウジのイブン・サウドと同盟を結んだ。1934年のサウジーイエメン戦争によって、イマームはアシルを40年間サウジ領とする条約を結ばざるを得なかった。1970年この条約は20年間延長された。
1948年、イマーム・ヤフヤは南部の暴徒に暗殺された。彼の息子イマーム・アフマドが跡を継いだ。彼は1951年、アメリカ、イギリス、エジプトと外交関係を結んだ。1956年、ソ連と結んだ。
イマーム・アフマドの治世の間、イエメンは孤立し開発されなかった。1960年代初期でさえ、舗装道路はなく、医者もほとんどいなかった。学校はコーランを教える学校だけだった。
1950年代、イエメンとアデン保護国の間では国境紛争が相次いだ。
1958年、イエメンは、エジプト、シリアとともにアラブ連合共和国を形成した。しかし、1962年、シリアの脱退により、アラブ連合共和国は消滅し、元のイエメンに戻った。■イエメン・アラブ共和国
イマーム・アフマドは1962年9月に亡くなった。彼の息子ムハマッド・アル・バドルが跡を継いだ。
その1週間後、アブドラ・サラール大佐率いる陸軍将校によるクーデターが起こった。この背後にはアラブ連合共和国がいた。新政権はイエメン・アラブ共和国を樹立した。
ムハマッド・アル・バドルは北部に逃れ、イギリスとサウジアラビアの支援を得て、8年に及ぶ内戦を始めた。
イエメン・アラブ共和国側はエジプトとソビエトに支援されていた。共和国側内部では権力闘争が始まった。エジプトは手を引いた。権力闘争に勝った党派は、サウジアラビアと友好関係を結ぶことを決定した。サラール大統領はイラクへ亡命した。カディ・アブドゥル・ラーマン・アル・イリャニが大統領となり、ハッサン・アル・アムリ将軍が共和国軍の長となった。 1970年、内戦は共和国軍の勝利に終わった。イマーム・アル・バドルはイギリスへ亡命した。
■南イエメン人民共和国
イギリスはアデンの周りを維持しているだけで、31の首長国によって作られた南アラビア保護国は北部に対する緩衝としての役目でしかなかった。
1960年代初期、民族主義がこの地域に燃え上がった。北部では共和国と王国との内戦が行われていた。イギリスは王国を支援していた。北部での共和主義者に対して、南部では南イエメン民族解放戦線はマルクス主義者と民族主義者で構成されていた。
1963、4年には民族解放戦線(NLF)のゲリラ闘争は、拡大しアデンにまで拡がってきた。1967年後半に、イギリスはアデンから撤退した。
1967年11月30日、南イエメン人民共和国が誕生した。
カフタン・アシュ・シャービが大統領に就任した。イギリスの撤退により、経済は崩壊の縁にあった。望みは共産圏からの援助だけだった。
1969年、カフタン・アシュ・シャービ大統領は辞任し、サラム・ルバヤ・アリが大統領となった。
1970年、国名はイエメン人民民主共和国に変わった。 - ■統一
- 1989年、ソビエトが崩壊した。共産圏の援助が止まったイエメン人民民主共和国は、経済的に破産したも同じだった。政府は隣国イエメン・アラブ共和国に助けを求めた。
1989年11月30日、両国首脳の会談で統一が決定した。
1990年5月22日、両国は統一され、イエメン・アラブ共和国となった。大統領には、北イエメンのサレハが就任した。
しかし数カ月後には南北の対立が鮮明となった。
1994年5月、南北の対立は激化し、本格的な戦闘に突入した。7月、北イエメンがアデンを制圧し、内戦は終わった。