香港

香港

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基本情報

地域名 香港
面積 1,040平方km(東京都の約半分)
人口 708万9,705人(2010年推計)
首都 北京
言語 中国語(広東語)、英語
宗教  
通貨 ホンコンドル (HK$)
為替レート 1ドル=約7.8ホンコンドル 1ホンコンドル=約13.7円
日本との時差 -1時間
ビザ
ビザ
3カ月以内の滞在はビザは不要です。
観光以外の目的で入国する場合は、ビザが必要です。
パスポート
残存期間は滞在日数プラス1カ月以上が必要です。

※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。
必ず、中国大使館旅券・査証業務香港特別行政区政府入境事務處、領事館などで確認してください。
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地勢・気候

地図
位置: 東アジア、中国に接し南シナ海に面している。
面積
全面積:1,040平方km
陸地の面積:990平方km
国境線:全長30 km、中国30 km
海岸線:733 km
国際紛争:なし
気候: 熱帯性モンスーン気候。冬は涼しく湿気がある。春から夏を通して暑く雨が多い。秋は温かく晴れている。
香港の気温と降水量
地形:丘が多く急勾配で山が多い。北部は低地。
:200以上の島がある。

政治

正式名称:中華人民共和国香港特別行政区、略称:香港 (Hong Kong)
1997年7月1日、香港はイギリスから中国に返還された。
政体:一国二制度のもとで、50年間は資本主義体制を取る。
首都: 北京
憲法:実質的には「香港特別行政区基本法」が憲法に準ずる。
選挙権:臨時立法会で決定される。
行政府
元首:江沢民国家主席
政府の長: 董建華行政長官 (1997年7月1日より)
立法府: 一院制
臨時立法会:立法評議会は1997年7月1日の返還とともに廃止された。これに代わる立法機関が「臨時立法会」。臨時立法会議員は、中国による香港特別行政区準備委員会の委員によって選ばれた推薦委員(400名)によって選ばれた。当然親中国派の委員が大半だ。立法評議会の大半を占めていた民主派議員は、参加をボイコットした。 立法評議会は、中国返還時に消滅し、臨時立法会が唯一の立法府となる。この臨時立法会は、来年5月に選挙が行われ、正式な立法議会が設立される予定。
政党
民主党(Democratic Party)
香港改善民主同盟(Democratic Alliance for the Betterment of Hong Kong)
香港民主基構(Hong Kong Democratic Foundation)
:1994年4月、the United Democrats of Hong Kong (UDHK) と Meeting Point は合同し民主党を作った。この合同は1994年10月に有効となった。

■軍事

人民解放軍4500人以上が駐留する。


経済

概況
香港は、関税も非関税障壁もほとんどない自由市場である。
天然資源はわずかであり、食料や原料は輸入しなければならない。製造業、建設業は、 GDPの約18%を占めている。
物やサービスの輸出はGDPの約50%を占めている。1987年から88年の実質GDP成長率は、8%にも上ったが、1989年から90年は3.0%に落ちた。1991年には4.2%、1992年は5.0%、1993年は 5.2%、1994年は5.5%、1995年は4.8%、1996年は4.7%と上がっていった。
失業率は、1980年代半ばから減少し、1995年には約2%から3.5%になっている。労働力不足は物価と生活費にはねかえっている。
1996年の経済見通しは、主要な貿易相手国が適度に繁栄し続け、投資家たちが中国は1997年の返還後も自由市場の実施を支援する限りは、明るい。 返還後の香港は、東南アジア諸国からの資金流入、中国慶の資金により株式市場は最高値を更新し続けた。しかし、
1997年10月23日、香港ドルの投機売りが強まり、香港株式市場は過去最大の下げを記録した。
GDP(MER): 2,107億3100万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(MER):29,825.548ドル (2009年:IMF)
GDP(PPP): 3,020億3700万ドル (2009年:IMF)
一人当たりGDP(PPP):42,748.419ドル (2009年:IMF)
国内総生産実質成長率:-2.664% (2009年:IMF)
インフレ率(消費者物価):-2.606% (2009年:IMF)
失業率:5.2% (2009年推計)
国家予算 (2009年推計)
歳入:410.8億ドル
歳出:377.5 億ドル
輸出: 3218億ドル (再輸出品を含む) (2009年)
商品: 電気機械器具、テキスタイル、アパレル、靴、時計、時計、玩具、プラスチック、宝石、印刷物
相手国:中国51.2%、アメリカ11.6%、日本 4.4% (2009年)
輸入:3487億ドル(2009年)
商品: 原材料や半製品、消費財、資本財、食料、燃料(ほとんどの再輸出される)
相手国:中国 46.39%、 日本 8.78%、台湾 6.52%、シンガポール 6.49%、アメリカ 5.34%(2009年)
対外債務:6551億ドル(2009年)
工業生産: 成長率 -1.7% (2009年)
発電量:394 億 kWh (2009年)
産業: 繊維、衣料品、観光、金融、海運、エレクトロニクス、プラスチック、おもちゃ、腕時計、クロック
農業:経済的には小さい。農家は新鮮な野菜、鶏肉、豚肉、魚
通貨:ホンコンドル
1 Hong Kong dollar (HK$) = 100 cents
為替レート
1ドル=: 7.75ホンコンドル(2009年)
交通・運輸
鉄道
全長:34 km
幹線道路
全長: 1,760 km(すべて舗装道路)
空港:3
通信
電話:437万台(1997年推計)
ラジオ
ラジオ局 :AM 6、FM 6、短波0
ラジオ台数 :300万(1992年推計)
テレビ
テレビ局 :4 (イギリスの放送局のリピーター1;、イギリス軍放送サービスのリピーター1)
テレビ台数 : 175万台(1992年推計)

歴史


ヨーロッパと中国の貿易は16世紀以来行われてきた。しかし茶と絹に対するヨーロッパ人の需要が増えるに従い、銀での支払いを求められ、完全な輸入超過である貿易バランスはヨーロッパ人にとって次第に耐え難くなってきた。
1773年、イギリスは最初にインドのベンガル産阿片70トンを、中国に船下ろしした。
そして中国人の阿片吸引者は瞬く間に増えていった。
銀の中国からの流出と阿片中毒者の増加に警戒して、清朝皇帝は阿片貿易を禁止した。
しかしイギリスは腐敗した中国官僚の助けを得て阿片貿易を継続した。
1839年、清朝皇帝の命を受けた欽差大臣、林則徐は、広東に赴きイギリス商人の保管している阿片2万箱以上を没収し、廃棄した。そして阿片の輸入を禁止した。
これに対してイギリスは、1840年、報復として軍艦10数隻を派遣し、中国沿岸を攻撃した。これが阿片戦争である。
イギリス軍は広東(今の広州)やいくつかの港を封鎖した。そして清朝を脅迫した。
イギリスは中国に香港島を永久に譲渡するよう圧力をかけた。清朝はイギリスに停戦を申し入れた。しかし最終的に両者の合意は破れ、1841年、イギリスは、厦門、寧波などを占領した。
この結果、1842年、清朝はイギリスと南京条約を結び、香港島のイギリスへの永久割譲、広東、上海などの開港、賠償金の支払いなどを強いられた。
1859年、イギリスとフランスの連合軍が中国を侵略した。
1860年、北京に進撃した。そして中国に北京条約を結ばせた。それにより、イギリスは九龍半島南部を永久譲渡させた。
1898年、イギリスは香港島での彼らの利益を守るために必須だと考え、新界地区などの99年間の租借権を得た。
第二次世界大戦前、香港は 中継貿易から製造業へ次第にシフトし始めていた。この動きは1920年代の中国内戦、1930年代の日本の侵略によって、中国の資本家たちが植民地の安全な境界へ逃れてから加速した。
1941年12月、香港は日本軍によって占領された。日本軍は弾圧支配と貨幣の代わりの軍票を乱発した。それによりインフレが起こり、また食糧不足による餓死者まで出た。1945年、香港の日本軍はイギリスに降伏した。日本の敗戦後、その軍票は無価値となったが、日本政府はいまだなんの補償もしていない。
朝鮮戦争の間、アメリカは中国の物資を禁輸措置にし、中国貿易の拠点である香港は干上がりそうになった。このため香港の製造業のキャパシティは増加し、銀行、保険などのサービス産業が発展した。
1949年、中国本土で共産党が国民党を打倒し中華人民共和国が樹立された。この時多くの資本家が香港に避難した。また文化大革命の間、香港では反英暴動が起こった。
イギリスは、当初1997年新界の租借権がきれる時には、九龍と香港島からなる植民地を維持しようとした。しかし中英交渉の過程で中国の強行姿勢を知り、香港の全植民地を返還することに決定した。
1984年9月、イギリスと中国の香港返還交渉は、中英共同宣言で結実した。 1984年11月19日、イギリスは中国に対して香港を1997年7月1日に返還する文書に調印した。共同声明の中で中国は、香港の社会経済システムとその生活様式を尊重する旨確約した。 香港は、1997年7月1日、中国に返還され、返還後少なくとも50年間は現在の資本主義制度-社会、経済、法律制度を維持すること(一国二制度)などで合意した。しかし現実的には、中国の政治方針はいつ変更されるか解らないという不安を感じている人々が多い。
1990年、中国の全人代(全国人民代表者会議)は、香港の憲法とも言える「香港特別行政区基本法」を採択した。
1997年7月1日、香港はイギリスから中国に返還され、中華人民共和国香港特別行政区となった。

人々

人口: 708万9,705人(2010年推計)
人口構成(2010年)
年齢 構成比 女性 男性
0-14 歳 12.2% 411,997人 450,833人
15-64 歳 74.6% 2,713,532人 2,551,256人
65 歳以上 13.1% 493,363人 434,090人
人口増加率:0.476% (2010年)
出生率: 人口1,000人当たり7.45人 (2010年)
死亡率:人口1,000人当たり6.91人 (2010年)
乳幼児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり 2.91人 (2010年)
平均寿命 (2010年)
全人口 男性 女性
81.96歳 79.24歳 84.88歳
民族構成:中国人95%、その他5%
宗教:地方宗教の折衷的な混合90%、キリスト教10%
言語:中国語(広東語)、英語
識字率:15歳以上でかつて学校に行ったことがある者の比率 (2002年)
全人口平均 男性 女性
93.5% 96.9% 96.9%
労働力:369.5万人 (2009年)
職業 (2008年)
製造業 建設業 卸売りおよび小売り、レストラン、ホテル 金融、保険、不動産 輸送および通信 社会福祉サービス
6.1% 1.9% 42.9% 21.4% 7.9% 19.7%

地図

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