国名 | インドネシア共和国 |
面積 | 191万9,440 平方 km (日本の約5.09倍) |
人口 | 2億4,296万8,342人(2010年推計) |
首都 | ジャカルタ |
言語 | インドネシア語 |
宗教 | イスラム教 87%、 キリスト教 9%、 ヒンドゥ教 2% |
通貨 | 単位はルピア(Rp)。 |
為替レート | 1ドル=7,450ルピア 1000ルピア=約14.3円 |
日本との時差 | インドネシアは東西に多くの島が広がっているので地域によって標準時が3つある。 1.東部(イリアン・ジャヤ(ニューギニア島)):日本時間と同じ。 2.中部(カリマンタン島やスラウェシ島、バリなど):-1時間。 3.西部(スマトラ島やジャワ島):-2時間。 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、インドネシア大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |

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インドネシアは約13,500の群島からなる。そのうち6,000の島に人が住んでいる。
- 面積
- 全面積:1,919,440 平方 km
- 陸地の面積:1,826,440 平方km。
- 主な島
- ジャワ島:126,700km²。首都ジャカルタのある島で、約1億2400万人が住むインドネシアの中心の島。
- スマトラ島:473,600km²。マレー半島の南西に横たわり、大スンダ列島に属する島。人口は約45,00万人。避暑地、観光地として有名で、特に北部は天然資源が豊富。
- スラウェシ島(旧称セレベス島):174,600km²。インドネシア中部にある島で、インドネシアで4番目の面積。
- カリマンタン島:743,330km²。マレーシアでは「ボルネオ島」と呼ばれている。
- バリ島:5,632.86km²。観光で有名であり、ビーチリゾートとして日本人にも人気の島。住民の大半はヒンドゥー教徒。
- ロンボク島:4,725km²。バリ島の東隣の島。近年になって、観光開発が進み始めた。
- スンバワ島:15,448km²。小スンダ列島に属し、1815年に、島内のタンボラ山が有史上最大の噴火を起こしている。人口約100万人。
- コモド島:390km²。小スンダ列島にある、コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)が生息する島。
- フローレス島:13,540km²。住民の多くはカトリック教徒。
- ハルマヘラ島:17,780km²。モルッカ諸島にある島
- テルナテ島:76km²。香料産出地として南隣のティドーレ島とともに、大航海時代に西洋列強の収奪の拠点となった。
- ティモール島:30,780km²。西側半分がインドネシア領。東側は、東ティモール。
- マルク諸島(モルッカ諸島):セラム海とバンダ海に分布する群島
- クラカタウ島:ジャワ島とスマトラ島の中間、スンダ海峡にある火山島の総称
- ニューギニア島:786,000km²。西側半分がインドネシア領。天然資源が豊富。インドネシア国内では「パプア」「イリアン」などと呼ばれている。東側半分は、パプアニューギニア。
- ビンタン島:1,866km²。
- 国際紛争:東チモール問題。マレーシアとの2つの島をめぐっての争い。
- 気候:熱帯:暑く、湿度が高い。高地では、もっと過ごしやすい。
- 気候:熱帯:暑く、湿度が高い。高地では、もっと過ごしやすい。
- ジャカルタの気温・降水量
- 地形:大部分の海岸部は低地である。大きな島々では内陸部に山がある。
- 天然資源:石油、スズ、天然ガス、ニッケル、木材、ボーキサイト、銅、肥沃な土壌、石炭、金、銀。
- 正式名称:インドネシア共和国
- 首都:ジャカルタ
- 独立:1945年8月17日 (独立宣言:1949年11月27日、 インドネシアはオランダから法的に独立国となった)
- 憲法:1945年8月。1949年の連邦憲法と1950年の臨時憲法によって廃止された。1959年7月5日復活した。
- 選挙権:17歳以上の国民すべてと、年齢に関わらず結婚している人。
- 行政府:
- 首都:ジャカルタ
- 元首および政府の長:大統領:スシロ・バンバン・ユドヨノ(2009年10月20日二期目就任、任期5年)
- 立法府:二院制
- 国民議会((DPR/定数560) 地方代表議会(DPD/定数132)
- この二院の合同機関として国民協議会 (MPR)がある
- 国民議会の機能:立法、予算審議、行政府の監督
- 地方代表議会の機能:地方自治や地方財政に関する立法権
- 議席数:(全議席560)
政党 議席 民主主義者党 148 ゴルカル党 106 闘争民主党 94 福祉正義党 57 国民信託党 46 開発統一党 38 民族覚醒党 28 グリンドラ党 26 ハヌラ党 17 - この二院の合同機関として国民協議会 (MPR)がある
- 概況:
- GDP(MER): 5,393億7700万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):2,329.449ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 9,624億7100万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):4,156.701ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:4.546% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):2.784% (2009年:IMF)
- 失業率:8.1% (2009年推計)
- 国家予算(2009年推計)
- インフレ率(消費者物価):2.784% (2009年:IMF)
- 歳入:836.3 億ドル
- 歳出:920.5億ドル
- 輸出: 1,195億ドル(2009年推計)
- 商品: 石油、ガス、電気器具、合板、繊維、ゴム
- 相手国:日本17.28%、シンガポール11.29%、アメリカ10.81%、中国7.62%,、韓国5.53%、インド4.35%、台湾 4.11%、マレーシア4.07% (2009年)
- 輸入: 843.5億ドル(2009年推計)
- 商品: 機械および装置、化学薬品、燃料、食料品
- 相手国: シンガポール24.96%、中国12.52%、日本、8.92%, マレーシア 5.88%、韓国5.64%,、アメリカ 4.88%、タイ 4.45% (2009年)
- 対外債務: 1,567 億ドル (2009年推計)
- 工業生産:成長率3.5% (2009年推計)、GDPの47.6% を占める。
- 産業: 石油や天然ガス、繊維、衣料、靴、鉱業、セメント、化学肥料、合板、ゴム、食品、観光
- 農業:GDPの15.3%を占める。
- 工業生産:成長率3.5% (2009年推計)、GDPの47.6% を占める。
- 米、キャッサバ(タピオカ)、ピーナッツ、ゴム、ココア、コーヒー、パーム油、コプラ、鶏肉、牛肉、豚肉、卵
- 通貨:ルピア
- 1 Indonesian rupiah (Rp) = 100 sen (senはもう使われていない)
- 為替レート:1ドル=10,399.2 ルピア(2009年)
- 鉄道:
- 全長: 6,964 km
- 幹線道路:
- 全長:119,500 km
交通・運輸
- 電話: 763,000回線(1986年)
- ラジオ局:AM 618、 FM 38、 短波0
- テレビ局: 9
- ラジオ局:AM 618、 FM 38、 短波0
通信
- ■7〜19世紀
- 7世紀後半に、仏教国のスリヴィジャヤ王国やヒンズー国のマタラム王国などの強国がジャワやスマトラに現れた。
ヒンズー教を残した最後の重要な王国は、13世紀に創建されたマジャパイトである。
イスラム教は14世紀に各諸島に大きく広がり、15世紀にはマジャパイトをバリ島に退却させた。
15世紀までに、強大なイスラム帝国がマレー半島のマッラカの中心に発展していった。
その影響力は短かく、1511年、ポルトガルに支配された。
オランダはポルトガルに代わりインドネシアへの侵入を始めた。
1619年、オランダはジャカルタを攻撃し、制圧した。オランダはジャカルタをバタビアと改名した。
オランダ東インド会社はバタビア(ジャカルタ)に本拠をおき、香辛料貿易を支配し、ジャワ島を支配下においた。
- ■20世紀
- オランダは、20世紀初期までにアチェとバリ島を含む全諸島を支配下においた。
1928年、スカルノらによりインドネシア国民党が結成され、公然と独立を呼びかけた。
第二次世界大戦中、日本軍は1942年、諸島を占領した。
インドネシアは当初日本によって、独立が達成されることを期待した。
しかし日本の軍政は、オランダ統治時代より悲惨なものだった。強制労働により多くの国民が死に、天然資源、食糧の搾取により農業生産は低下し飢饉が襲い、餓死者が多数でた。
反乱も多発し、日本軍により鎮圧された。
日本の無条件降伏の二日後、1945年8月17日、スカルノはインドネシア独立を宣言した。しかしインドネシアの再植民地化をねらうオランダは武力で制圧しようとし、双方で戦闘が始まった。
インドネシア軍の抵抗と国際世論の非難により、オランダは植民地化をあきらめ、1949年12月、オランダのハーグにおける会議で、独立が合意された。 - ■独立
- 1950年8月、完全独立が達成された。
スカルノが、大統領に就任した。
議会制民主主義の期間後、1957年、スカルノは議会を廃止し、戒厳令を宣し、政府による独裁主義的政治を始めた。スカルノはそれを指導民主主義と呼んだ。
スカルノの権力簒奪はただちに反応を引き出した。
1958年スマトラやスラウェシで反乱が起こった。そして結局鎮圧された。
スカルノの権力の強化はインドネシアの経済的苦悩をほとんど軽減しなかった。
外交では非同盟運動 彼の腐食した虚栄心は壮大な建設計画ー国家再建の妄想にすぎなかったーは人民の窮乏と鋭いコントラストを見せていた。
国連から脱退し、経済の社会主義化を計画した。
1965年9月30日、軍部共産主義グループによるクーデターが起きた。
これに対し、スハルト陸軍戦略予備隊司令官が、クーデターを鎮圧した。
これがインドネシア現代史で有名な「9・30事件」である。
このクーデター鎮圧によって、スハルトが実権を握った。
スカルノ大統領は、クーデターへの関与を疑われ、その権威は低下し、大統領職を剥奪され、1970年6月亡くなった。
1967年3月、スハルトはスカルノ大統領に代わり、大統領代行となった。
1968年、スハルトが大統領に就任した。
動乱のスカルノの時代と全く対照的に、インドネシアはスハルトの下で、西側諸国の投資や援助を求め、インドネシア経済を急速に成長させた。
しかし、1975年の東チモールへの度重なる侵略と1976年の併合、1991年の東チモールのディリでの虐殺、政権主流派の経済利権の独占、1994年6月の政府を批判した雑誌の発禁処分、これらの問題が残されている。
多くの東ティモール人とイリアンジャヤのパプア人が、インドネシア共和国への強制的な帰属を拒否し、インドネシアの占領に抵抗し続けている。
- 人口:2億4,296万8,342人(2010年推計)
- 人口構成:(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 28.1% 33,162,207人 34,337,341人 15-64 歳 66% 78,918,321人 79,549,569人 65 歳以上 6% 7,968,876人 6,335,208人 - 人口増加率:1.097% (2010年推計)
- 出産率:人口1,000人当たり18.45(2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり 6.25人(2010年推計)
- 乳児死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり28.94人(2010年推計)
- 平均寿命(2010年推計)
男性 女性 68.53歳 73.69歳 - 民族構成: ジャワ人45%、スンダ人14%、 Madurese 7.5%、 coastal Malays 7.5%、 その他26%
- 宗教: イスラム教 87%、 プロテスタント 6%、 ローマンカトリック 3%、 ヒンドゥ 2%、 仏教1%、 その他 1% (1985年)
- 言語:インドネシア語 (マレー語を修正した語形、 公用語)、英語、オランダ語
- 識字率: 15歳以上で読み書きができる (2004年推計)
全人口平均 男性 女性 90.4% 94% 86.8% - 労働力: 1億1370万人 (2009年推計)
- 職業(2005年推計)
農業 製造業 サービス業 42.1% 18.6% 39.3% - 人口構成:(2010年推計)
