国名 | アラブ首長国連邦(United Arab Emirates) |
面積 | 8万3600平方km(北海道とほぼ同じ) |
人口 | 497万5,593人 (2010年推計) |
首都 | アブダビ(Abu Dhabi) |
言語 | アラビア語(公用語) |
宗教 | イスラム教 |
通貨 | ディルハム 1 Emirian dirham (Dh) = 100 fils |
為替レート | 1ドル= 3.6725ディルハム(1997年11月以来ドルに連動) |
日本との時差 | -5時間 |
ビザ |
※ビザやパスポートなどの情報は予告なく変更されることがあります。 必ず、大使館、領事館などで確認してください。 |
国旗 | |
国際電話 | |
- 位置:中東、オマーンとサウジアラビアに挟まれ、オマーン湾とペルシャ湾に面している。
- 面積
- 国土の面積:75,581 平方km
- 陸地の面積:75,581平方km
- 気候:砂漠。東部の山々では涼しい。
気温と降水量- 地形:沿岸地域は平地で、内陸部に行くに従い、緩やかに起伏する砂丘のある広大な砂漠となる。東部には山がある。
- 天然資源: 石油、天然ガス
- 地形:沿岸地域は平地で、内陸部に行くに従い、緩やかに起伏する砂丘のある広大な砂漠となる。東部には山がある。
- 正式名称:アラブ首長国連邦(英語 United Arab Emirates /アラビア語 Al Imarata al Arabiyah al Muttahidah )。略称でUAEと表記される。
- 政体:7つの首長国による連邦国家。外交、防衛などの指定された権限がUAE中央政府に委任されているが、他の権限は各首長国に保持されている。
- 首都:アブダビ
- 独立:1971年12月2日 (イギリスから)
- 憲法: 1971年12月2日 (臨時)
- 法律制度:非宗教的な法典が、UAE政府といくつかの首長国によって導入されている。イスラム法は影響力を残している。
- 投票権:極めて限定されている
- 国家元首: 大統領:ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン(アブダビ首長) (2004年11月3日就任)
- 行政府
- 政体:7つの首長国による連邦国家。外交、防衛などの指定された権限がUAE中央政府に委任されているが、他の権限は各首長国に保持されている。
- 政府の長:首相 ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(副大統領、ドバイ首長)(2006年2月11日就任)
- 連邦最高評議会:7人の首長によって構成される。この評議会はUAEの最高意思決定機関である。総合的な政策を決定し、連邦の法律を認可する。アブダビとドバイの首長は拒否権を持っている。評議会は年4回開かれる。
- 立法府:一院制、連邦国家評議会 (Majlis Watani Itihad)、(選挙により選出される20名及び各首長の勅選により任命される20名、計40名の議員(任期4年)から構成。立法権は限定的)
- 政党およびその指導者:政党は禁止されている
-
■軍事 - 軍事費:約9.2億ドル(2007年)
- 概況
- UAEは一人当たりの収入が世界でもっとも高い国の一つであり、貿易で例年かなり多くの剰余金を持つ 開放経済である。
その収入は石油とガスの産出( GDPの約33%)がベースで、その収入はこれらの商品価格で変動する。
1973年以来、UAEは貧しい地域の小さな砂漠の公国から生活水準の高い現代的な国家へという困難な変化を遂げた。
現在の産出レベルで、原油埋蔵量は100年以上続くと見られている。
大部分の湾岸諸国より経済的には強いが、UAEは国際石油価格の低下とOPECの石油産出割り当てでの削減圧力という同様の問題に直面している。
政府は経済での民営化を進め、1997〜98年には工業発展が進展することを期待している。 - GDP(MER): 2,299億7,100万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(MER):46,856.800ドル (2009年:IMF)
- GDP(PPP): 1,793億2,100万ドル (2009年:IMF)
- 一人当たりGDP(PPP):36,536.785ドル (2009年:IMF)
- 国内総生産実質成長率:-0.670% (2009年:IMF)
- インフレ率(消費者物価):1.622% (2009年:IMF)
- 国家予算(2009年推計)
- インフレ率(消費者物価):1.622% (2009年:IMF)
- 歳入:611.6億ドル
- 歳出:546.8億ドル
- 輸出:1,922億ドル (2009年推計)
- 商品: 原油45%、天然ガス, 再輸出品、 魚
- 相手国:日本17.27%、 韓国10.49%、インド9.96%、イラン6.82%、タイ5.11% % (2009年推計)
- 輸入: 1,500億ドル (2009年推計)
- 商品: 工業製品、機械および輸送機器、食品
- 相手国:中国15.03%、 インド 14.27%、アメリカ 8.44%、ドイツ 5.81%、日本4.52% (2009年推計)
- 対外債務1,225億ドル (2009年推計)
- 工業生産:成長率-5.6% (2009年推計)
- 発電量:715.4億 kWh
- 工業生産:成長率-5.6% (2009年推計)
- 産業:石油、石油化学、漁業、アルミ、セメント、肥料、商業船舶修理、建設資材、手工芸品、織物
- 農業:GDPの1%と労働力の7% を占める
- 換金作物:ナツメヤシ
- 食料生産:野菜、スイカ、鶏肉、卵、乳製品、魚
- 通貨:ディルハム
- 1 Emirian dirham (Dh) = 100 fils
- 為替レート:1ドル= 3.6725ディルハム(1997年11月以来ドルに連動)
-
交通・運輸
- 鉄道:0 km
- 幹線道路(1996年推計)
- 鉄道:0 km
- 全距離:4,835km
- 舗装:4,835km
-
通信
- 電話:677,800回線 (1993年推計)
- ラジオ局: AM 8、 FM 3、 短波 0
- テレビ局:12
- 電話:677,800回線 (1993年推計)
- ■15〜17世紀
- 中世には、現在のUAEの土地はホルムズ帝国の一部だった。 1489年、ポルトガルがこの地にやって来た。そして 1515年頃には、現在のラサールカイマーの近くの町ジュルファーを占領し、税関を作った。そこでポルトガルは、インドや極東と貿易の盛んな湾岸諸国から税金を取った。ポルトガルは1633年までジュルファーを占拠していた。
- ■18世紀
- 18世紀には、ペルシャ湾岸の南部で2つの重要な部族の連合が勢力を拡大していた。カワシムとバニ・ヤスである。現在のUAEを構成する7つの首長国の内の4人の首長の先祖である。
カワシムは現在のシャルジャとラスアルハイマの首長の先祖であり、船乗りだった。
内陸部のベドウィンの主要な勢力は、バニ・ヤスだった。現在のアブダビとドバイの首長の先祖である。1793年内陸部のオアシスからアブダビに移動した。彼らは、ラクダの飼育や農業、略奪や、領土を通過する商人から通行税を取り立てて暮らしていた。
19世紀初期、バニ・ヤスはドバイとアブダビに分れた。
- ■19世紀
- 18世紀中頃から、イギリス海軍が湾岸に勢力を伸ばしていた。イギリスとこの二つの部族は領土で対立するようになった。そしてイギリス海軍は幾度かの戦闘が行われ、1820年カワシムを打ち破った。そしてその地域の9つの首長国に総合平和条約なるものを押しつけた。そしてイギリスの守備隊がその地域に常駐するようになった。その条約は30年間続いた。ヨーロッパ人はその地域を、トゥルーシャル・コーストと呼んだ。この名前は1971年まで使われた。
1892年、イギリスは一連の保護条約を各首長と結び、それを通して湾岸全域に勢力を伸ばした。その条約は、首長がイギリスの軍事的保護を受ける代わりに、イギリスの許可なく他の外国勢力と交渉をしないというものだった。
イギリスは他の勢力がこの地域に入り込まず、インドまでのルートが安全である限り、この地域に目を向けなかった。この地域は沈滞していた。19世紀後半、20世紀初頭を通じて、すべての首長国は漁師と、真珠採り、ベドウィンだけの小さな孤立領土だった。その地域にいる商人は数少なく、大部分がインド人かペルシャ人だった。
- ■20世紀
- 20世紀初めの世界の真珠市場の崩壊後、沿岸のすべての国が悲惨な窮乏にあえぐようになった。
しかし石油が埋蔵されている可能性によって、イギリスはトゥルーシャル・コーストに関心を持ち始めた。
1939年、アブダビ首長シャクブットは、続く窮乏を打開するため、イギリス所有のイラク石油会社の申請を認めた。石油はサウジアラビアと長らく領有を争っているブライミ・オアシスで発見されたが。領土争いが激化した。1952年には、サウジアラビアがブライミ・オアシスの一部を占領した。その後もこの争いは続いた。
シャクブットは必死に石油を求め、1953年、イギリスとフランスの国際資本に沖合いの掘削の認可を与えた。5年後、最初の石油が発見された。首長が石油会社を通して財政問題を解決しようと最初に希望を持ってから20年後の事だった。輸出は1962年に始まった。その時のアブダビの人口はわずか1万5000人だった。首長国は明らかに裕福になる途上にあった。
一方ドバイは、この期間を通じてその地域のビジネスセンターとしての名声を固めた。
1939年、ラシド・ブン・サイード・マクトムは病の彼の父サイードの摂政となった。(サイードが亡くなった1958年、ラシードは公式に首長となった。)
彼はドバイを湾岸の主要な企業国として、急速に成長させようと努めた。自国で石油が発見された1966年には、ドバイはすでに比較的裕福な貿易センターとなっていた。
1968年イギリスは、1971年に湾岸から撤退すると発表した。
それは大部分の首長にショックを与えた。数週間後、イギリスはバーレーン、カタール、トゥルーシャル・コーストによる単一国家を作ることに着手した。しかしその連邦は地域の多数の国境紛争によって崩れた。イギリスはその後3年間交渉を続けた。バーレーンは結局交渉から手を引いた。カタールもまもなくそれに習った。
最終的に、1971年7月、新しい連邦のための臨時憲法が発表された。アラブ首長国連邦である。首長たちは、その連邦の中でアブダビとドバイが最も大きい比重を占めるが、各首長国には大部分の自治を残すという定則に同意した。新しい国家は、1971年12月2日、建国された。
建国以来、UAEはアラブ世界の中でもっとも安定した国となった。
- 人口:497万5,593人 (2010年推計)
注:2005 censusに基づく。- 人口構成(2010年推計)
年齢 構成比 女性 男性 0-14 歳 20.4% 478,388人 500,928人 15-64 歳 78.7% 1,008,4040人 2,768,030人 65 歳以上 0.9% 15,140人 27,601人 - 人口増加率:3.561% (2010年推計)
- 出生率:人口1,000人当たり15.98人 (2010年推計)
- 死亡率:人口1,000人当たり2.08人 (2010年推計)
- 乳児の死亡率(1歳以下):出生1,000人当たり12.3人 (2010年推計)
- 平均寿命 (2010年推計)
- 人口構成(2010年推計)
- 男性: 73.75歳
- 女性: 79.01歳
- 民族構成:アラブ首長国連邦人19%、 他のアラブおよびイラン人23%、 南アジア人50%、その他(西洋人および東アジア人を含む) 8% (1982年推計)
- 注:UAEの市民は20%以下である。 (1982年)
- 宗教 :イスラム教96% (シーア派16%)、 キリスト教、ヒンズー教、 その他 4%
- 言語:アラビア語(公用語)、 ペルシャ語、 英語、 ヒンズー語、 ウルドゥ語
- 識字率(15歳以上) (2003年推計)
- 注:UAEの市民は20%以下である。 (1982年)
- 全人口: 77.9%
- 男性: 76.1%
- 女性: 81.7%
- 男性: 76.1%
- 労働力:351.8万人 (2009年推計)
- 注:外国人労働者が労働力の約85%を占めている
- 職業: (2009年推計)
サービス業 工業および商業 農業 47% 52% 1% - 職業: (2009年推計)